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競馬コラム

心地好い居酒屋

2021年10月06日(水)更新

心地好い居酒屋:第109話

「頑鉄」の入り口は微かに開いており、その隙間から上品な、いい香りが洩れていた。遠野がクンクン鼻をピクつかせながら、中に入ると全体にフワ~と広がっていた。伽羅入りなのか……。先客は居ない。


指定席に近づくとさらに香りは強くなった。席の端っこの中央には香りの元の線香が立っている線香立てが。その横には清水成駿の遺影が置いてある。


「金曜日から緊急事態が解除されたといっても店を開けるには中途半端だし、とのさんも4日の月曜日なら来てくれるし、もちろん横ちゃんも。それに……。何せ清水さんの月命日。清水さんへの営業開始報告がてら今日からにした訳だよ」。親爺がシンミリ告げた。


「ありがとな。家飲みで何回かお邪魔したが営業では何日ぶりかね」「こっちだって覚えちゃいないよ」とブツブツ応えながら酒肴の用意を始めた。「追っつけ横ちゃんもくんじゃねぇ。ゆっくりでいいぞ」「いや、今年は清水さんがウチに顔を出してくれてから23年。ローカルも終わった9月最終の月曜日だったし。本来なら先週が記念日だけど、このご時世だから1週間遅れで。とりあえず二人で献杯しようと思って。ああ、横ちゃんには5時半過ぎ、と言ってあるから」「それはそれは。微に入り細に入りのご配慮で」。冗談めいた返答になったが、親爺の配慮に虚を突かれたのは間違いない。分かっちゃいたが、親爺の清水への尊崇ぶりは半端じゃない。


お通しが運ばれてきてさらに魂消た。お吸い物が縞鰺のアラのお椀。胡麻豆腐、衣被ぎに秋刀魚のワタ醤油焼き――。当時の料理を再現したのだ。それらを、まず陰膳として遺影の前に置き、続いて「八海山」の大吟醸入りグラスを添えた。当時は大吟醸はなく本醸造だったが……。それから二人分を配膳し、おもむろに“献杯”となった。


「ほれ昨日の『凱旋門賞』でドイツのトルカーター何ちゃらてのが勝って大穴だろ。ついつい清水さんの『ジャパンC』が甦ったきてな」


「なるほど。え~と。30年ほど前のランドだったけな、ドイツ馬の優勝は」「そうそう、そんな名前。もっと前には『皐月賞』で孤独の◎ハードバージ(昭和52年)が勝ったりして清水さんに注目はしていたけどランド以来、注目→信頼になって」「確かに!神懸かり的だったもんなぁ」


昔を偲ぶように天井を見上げ、それからお椀を啜った。ほどよい脂で旨い。続けて胡麻豆腐に箸を付けた。「さすがに、清水さんの時と違って手料理じゃないけど」。勘弁と両手で拝む格好をする。「いえいえ。結構なお味で。それより、そんなに信頼してたのに平成10年(ダービー)のボールドエンペラー◎では『遠野さんよぉ。清水の◎どう思う?』なんて聞いたんだろうね」


「ヘヘッ。申し訳ない」。ハゲ頭を叩きながら続けた。「とのさんに聞いたお陰で確信を持って馬券も買えたし、とのさんと清水さんが親しいのが分かったんだから、まぁいいんでないか?」。急に北海道弁が出てきた。店も休み、遠野の足が遠のいた後も横山とは頻繁に連絡を取り合っているみたいだ。“忘年の交”――。身内同然の吉野と横山が側にいれば、遠野が親爺を心配する必要はなかろう。


一杯目のグラスを空け「ふぅ~。やはり一人酒より、こうして飲んだ方が旨いなぁ」。改めて感じ呟くと「ボツボツ横ちゃんも来る頃だし、もっと旨くなるぞ」と親爺。そんな声が聞こえたのか、それとも時間まで待っていたのかドアが開いて横山が入ってきた。


「ご無沙汰しております。今日はありがとうございます」と挨拶を済ませるや、線香立ての所まで膝でにじり寄り、線香を立て手を合わせた。


「お。ありがとな」。遠野が礼を言う。「とんでもないです。今、こうして楽しく張りのある生活が送れてるのは皆さんのおかげですから」。言葉を交わしている内に横山用の準備も整い改めての“献杯”となった。


「昨日はどうだった?」。遠野が促すと「昼稼いだ分を夜吐き出しました。遠野さんが仰っていた『道悪はバゴ』を念頭に先々週の泥んこ『神戸新聞杯』ではステラヴェローチェ軸で親方と一緒に儲けたもんで……」。モゴモゴと言い酒で喉を潤した。「そうかぁ。クロノジェネシスで勝負したんだ。残念だったね」。大した労りの気持ちはあるとは思えない口っぷりだ。


「ゴルフはいいスコア、競馬は好時計が出ればっていう設定じゃあ本当に強い選手や馬は生まれないよ。今や、日本の競馬場も特徴がなくレコード続出。多少の雨ではビクともしないし、またそれをマスコミが“手入れがいい”“馬場造園課には頭が下がる”なんて賞賛してるんだから世話ないよ。ゴルフも競馬も、もともと自然との闘いでもあるんだから。横山君が儲けた『神戸新聞杯』にしても断然人気のシャフリヤールが馬場に対応出来なかったからだろうし」。久々に人と飲んだせいか遠野の口は滑らかだ。


そこへ割って入ったのが親爺で「ついこの間、横浜市民の民度の高さに感心したばかりなのに、あっという間に菅が消えちまったなぁ。麻生に安倍、それに菅以外なら誰でもマシだと思っていたが岸田ってのも碌なもんじゃねぇ。出身の広島といえば<仁義なき戦い>だろ。あの岸田ってのは金子信雄扮するズル賢く身を守る『山守組』の組長と田中邦衛扮する強者と弱者を邪悪に演じる臆病者の槇原を足して二で割ったような奴だな。ありゃダメだ」。親爺、マジで憤慨している。


「幹事長の甘利は賄賂をポッポに入れ、追求されると入院で国会を休み、今回の言い訳は『不起訴になりました』だろ。当時の検察は官邸の守護神・黒川の言いなり。松野博一の官房長官は森友・加計問題の備えだな。当時文科大臣として逃げ切ったノラリクラリを買ったのだろ。笑っちゃうのは財務大臣の鈴木俊一。親爺の鈴木善幸は角さんが『あいつな余計な事はできないから安心』として総理に推したらしいし、それだけ親子揃って人がいいのだろう。しかも麻生太郎と親戚(麻生の嫁の弟)。これじゃあ財務省の改竄事件なんて再調査できるわけがない。こんな主要人事を唯々諾々と飲んでる岸田はまさにヘタレ」


遠野が親爺の言葉を補足する。目の前には秋刀魚の刺し身に生イクラと鮭のハラスがあるのに遠野と親爺の怒りは収まりそうにない。辛うじて線香の香りが空気を和ませている。


「<沈香も焚かず 屁もひらず>っていうが屁どころか毒を垂れ流してるんだから始末が悪い」と親爺。


横山は耳を傾けながらも一人、酒を飲みイクラを匙で掬って口に入れている。それに気付いた遠野が話しかけた。


「そうだ。去年の今頃はそれほど芳しくはなかったけど、夏を越して栴檀に近くなったが『秋華賞』には出られそうかね。賞金的に難しそうだけど…」。一瞬キョトンとした横山だが<栴檀は双葉より芳し>を思い出したのか「ジェラルディーナですね。どうでしょうか。1500万じゃ無理かも知れません。でも……」「ん?」「遠野さんが覚えていて下さるとは」。嬉しそうに応えていたのに急に静かになった。静寂を破ったのは親爺で「だから、とのさんなんだよ」

源田威一郎

GENDA ICHIRO

大学卒業後、専門紙、国会議員秘書を経て夕刊紙に勤務。競馬、麻雀等、ギャンブル面や娯楽部門を担当し、後にそれら担当部門の編集局長を務める。
斬新な取材方法、革新的な紙面造りの陣頭指揮をとり、競馬・娯楽ファン、関係マスコミに多大な影響を与えた。
競馬JAPANの主宰・清水成駿とは35年来の付き合い、馬主、調教師をはじめ懇意にする関係者も数多い。一線を退いた現在も、彼の豊富な人脈、鋭い見識を頼り、アドバイスを求める関係者は後を絶たない。

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